ダイエットしたり、リバウンドしたりを繰り返して、なんとなくテキトーな体を維持しつつ生きていました。あまり、体育会系の体にも興味はなかったですし、人間ドックの結果以外には、特に不満もありませんでしたね。病気という病気もしていませんでしたし。
そういう私に転機が訪れたのは、娘が出場するフルマラソンの市民大会に車で送っていったときのこと。家から1時間半程度の場所で開かれる一万八千人くらい出走する新春の大会でした。スタート場所近くは渋滞するというので、朝、四時起きで出発。八時半スタートで七時間は帰ってきません。ウォーキングはぼちぼち続けていた私は、ヒマなので、その当たりをグルグル歩き回っていました。家に帰ってからスマホを見ると、二十キロメートル以上も歩いているではありませんか。
一日潰してヒマ持て余して、二十キロ歩くより、出場してフルマラソン走るほうがよくね?というのが私の頭に浮かんだ考えです。これが大きな転機になりました。ヒマをつぶすなら自分の意志で、というわけです。
しかし、学生の体育の十キロ走以来、長距離など走ったことがなかった私。とりあえず、五キロメートル走れれば、なんとかなるんじゃないのか、とグーグルマップでルートを決めていざ出発。息も絶え絶え、スピードもウォーキングより少し早い程度でしたが、なんとか走り抜き、フルマラソンに出場するとこを決めたのでした。
形から入りたがる私は、シューズ、ソックス、タイツなど一式そろえ、本も読み、「一ヶ月に百キロメートル練習すると誰でも完走できる。」という言葉を信じ、 練習をはじめました。 最初は距離を伸ばすことは難しかったのですが、大会の三ヶ月前には月に百キロメートルを超え、一ヶ月前にはあと少しで二百キロメートルまできました。その時の私の気持ちは、俺って天才じゃないの?初マラソンでいい記録が出て当然じゃないの?というもの。
しかし、その時、練習中に左ヒザに痛みが走ります。今まで経験したことのない痛みです。すぐに練習をやめ、湿布をすると痛みはなくなりました。本番まであと十日の出来事です。その十日間は休養に当て、痛みはないが不安がいっぱいの中、本番を迎えました。
本番では、二十キロメートルまでは快調、快調だったのですが、突然、ビシッと痛みが来て、痛さで足が上がりません。つまり、走れなくなったのです。歩いてみるとなんとか歩けるので、しばらく歩いてから走りに挑戦すると、やはり激痛で足が上がりません。このときは、時間内完走を目指して苦痛のウォーキングになりました。これが、私のヒザ痛との付き合いのはじめです。
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